5月24日伊達政宗公三八二遠忌法要
瑞鳳殿に行ってきました。
5月24日は伊達政宗の命日です。
仙台伊達家ご当主や伊達藩士会の方々が参列し、
しめやかに法要が行われました。
また、この日は伊達政宗木造を拝める本殿御開帳でもありました。
写真は撮影しても良いとのことで、パシャリ。
ふあああ。
なにか、空気が違いました。
ありがとうございますと、ただ、ただ、感謝の祈りでした。
瑞鳳殿は何度も足を運んでいますが、お恥ずかしながら、部長、政宗公の御開帳、今回が初めてでした。
なんだかんだで行きそびれていたのですが、行ってよかった!
現地でガイドツアーにも参加しました。
いやはや、話が上手です!
知っていたことも知らなかったことも知っていたつもりだったことも、
話し上手な人から聞くと更に楽しい。
ボランティアのガイドさんも熱心に聞き入っていました。
メモ
伊達政宗の瑞鳳殿に比べて忠宗、綱宗の御霊屋は装飾が少ないのは、復元する際に資料となる写真がさほど多くなかったので、想像しつつ、忠宗、綱宗とも平等な装飾にした。
綱宗は女に溺れて失脚したという説が広くあるが、策略により引きずり降ろされたかも。
殉死者の塔がないが、幕府が殉死を禁じたためで、人気がなかったわけではない。
綱宗の時制に仕えていた家臣は綱宗が亡くなったあと善応殿の隣に庵を建てて坊主となり死ぬまで弔いを続けていた。
瑞鳳殿への階段は62段で伊達藩62万石を表すとよく言われるが、俗説。今は登りやすいように1段増やして63段ある。
瑞鳳殿の両側の塔は殉死者の供養塔。さらにその外側に建っている一回り小さい塔は殉死者を慕っていた人(陪臣ですね)が更に殉死した塔
政宗が亡くなる前に経ヶ峰にホトトギスの音を聞きに来て、死後はここに墓を立てろと指した場所は崖っぷちで、御霊屋が建てられないので少しずらしたが、政宗本人の石室は指定の場所にあるから
埋葬箇所が瑞鳳殿の真下ではない。(石室は左側にあります)
今は木々で覆われ、仙台城下も仙台城も瑞鳳殿からは見えないが、政宗が指定した当時は見えた。
瑞鳳殿の屋根の龍は火災から守る。
西洋の龍は火を噴くが、日本の龍は水神なので、手水にも龍がいる。
参拝の両脇に灯籠が建っているが、その奥の石垣に注目。
向かって左にはコケがない。右手にはコケがある。
大震災の際に左の石垣が崩れ、修復したのでまだコケが生えていない。
境内のもみじは紅葉すると赤と黄色、それに竹林の緑が美しい。
建物のあちこちに阿吽が見られる。この世の始まりと終わり、現世とあの世。
涅槃門の家紋は菊の御紋。
秀吉が朝廷から紋を賜り、さらに政宗が秀吉から賜った。
など。
訪れた際には、話し、聞いてみてくださいね!