商人と大名

まずはこちらをお読みください。

 

宮﨑駿が描く(描こうとしている)漫画、「鉄砲侍 蛭子八郎太」のフィギュアが先行販売

http://www.modelkasten.com/tepposamurai/
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この中のインタビューが面白いのです。

 

 

さてさて、お読みいただけましたか?

16世紀に日本では鉄砲が普及して政宗も使っていた。
このことは皆さんよくご存知でしょう。

だがしかし、ではその鉄砲はどこから入手したのか、玉は自家製だったのか、などわからないことがたくさん浮かびます。

第2回の「だて部」※でも少し話題に登りましたが、伊達家では正月にいろんな家臣が挨拶に来て、献上品を渡すわけです。
その中に「鉄砲の玉50」とか、記載があるのです。

たいした身分のない人(皆が知るところの小十郎とか遠藤家とかではないという程度で、実際のお金持ち度は不明)からの献上品です。

玉の価格表がないので、どのくらいの勝ちだったのかはわからないですが、自家製じゃないか、と、考えると、火薬の原料は誰でも手に入るくらいの価格で、材料があれば気軽に作れるものなのか、それとも材料確保が出来る有力な家だからこそ作れるのか、
で、
大きく見方が変わります。

上記のインタビューから宮﨑駿氏の言葉を抜粋すると、

 

本には硝石(黒色火薬の原料)は簡単に輸入してたって書いてあるけど、どこの港に揚げたものを、どうやって甲斐の山奥や関東平 野のはずれまで持って来たのかね。硫黄の流通ルートだって、火縄はあれは木綿だから、その木綿の流通 ルートだって、全部輸入なのかって。で、硝石は江戸時代になってから納屋の床下で作ったっていうけど、相当前から、じつはやってたんじゃないかな。火薬は どうやって輸送していたんだろうかと。そんな戦略物資を他所の領土を通って運べたんだろうかとかね。

 

 

こういう疑問をぶつけています。

全くその通りで、そして謎ですよね。

商人の力が必要不可欠なわけで、しかし商人といっても当時はやっぱり有事には武器を持って戦う武士でもあった。

輸送ルートの記録がないのは、軍事作戦としてマル秘であろうからそんなことは残さないのだと考えられるし、うーむむむ。

 

いずれにしても、鉄砲そのものも貴重品であったろうが、玉も貴重品。
必ず敵を倒すくらいの場面でしか使わないと思うし、矢も作るのに手間がかかるし、鉄砲玉に比べてデカイので持ち運べる量にも制限がありそう。
鏃だけ持って現地で作るにしても真っ直ぐな竹を調達して鳥の羽を用意して鏃を用意して真っ直ぐ飛ぶよう調節しながら組み立てて・・・、手間ですね。

そういう意味でも鉄砲が普及したのかもしれません。

漫画のように無限に矢を放つ訳にはいかない。

戦争の死因はだいたいが投石による頭蓋陥没という話がありますが、高価な武器を使う戦闘は限られているのかもしれないです。

 

鉄砲の薬箱を自宅においておいて家事になって成実は大やけどをします。家臣がうっかり火を落として、とありますが、うっかり過ぎます。仮に火事は草のしわざとすれば、それだったら盗んだほうが有益ですよね・・・。盗むほど貴重なものではなかったのか、運ぶ算段がなかったのか、主人ごと焼いてしまおうと考えたのか。

自宅に鉄砲玉がある、という風景は日常だったのか。
買い取ったものを在庫していたのか、自分の家臣たちに作らせたのか。
どのくらいの量だったのか。

 

などなど、突き詰めて考えるとキリがないです。

 

 

で、商人の実態がよくわからない。
江戸時代以降の商人のイメージしかないのですよ。

しかし政宗も直轄で経営している何かはあっただろうし、成実も片倉も茂庭もお米の取れ高だけでは膨大な出費はまかなえない。

 

彼らも大きい括りで言えば「商人」と言ってもいいのだろうか。
極端だが戦争とは大名という名の「あきんど」が乗っ取り合っていたにすぎないのだろうか。

でかい会社が経営の良さそうな企業を乗っ取る、あるいはコラボして互いの利益を図る、そんなところだろうか?

mudai

 

伊達家の経営を探るのは部長のテーマですが、まあ、謎です。
現代の経済、経営学も理解していないし・・・。
アンテナ貼ってれば情報を拾える、ということで、地味ぃ~~に模索します。

 

「矢でも鉄砲でも持ってきやがれ!」
と言うのは、いっぱい敵が持っているぶん、分捕りもできるので、割と喜ばしいことだったかもしれないですね。無論、自分も持っていないとやられちゃいますが・・・・

 

 

 

※「だて部」とは、政宗を中心とした伊達家の歴史をみんなで学ぶ部活動です。
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