伊達な棒コレクション

伊達家の史跡は、まあ、残ってません。敗戦組ゆえなおさら残っていません。

それでも歴史は確かにあった。政宗も成実も生きていた。

それを表す最小限の標識、それが「棒」。
これ以上ないシンプルな、「棒」。

説明もなく、ただ、そこにあるだけの「棒」。
誰が建てたのかもいまいちわからぬ「棒」。

「棒」。
それはある意味、「歴史の墓」なのかもしれない。

 

なんと儚げな。
今まで部長が現地で見た伊達な棒を厳選してお届けします。

 

宮城県丸森町「矢の目遺跡」

伊達棒遺跡1
ほぼ民家の庭に凛と立つ逸品。
というか、民家の庭先なので行きづらさは別格である。
一切の説明を排除している。

 

山形県資福寺跡

伊達棒遺跡18
文字が消えかかっており、いまいち読みづらい。「資福寺■大居士塔」と、ある。放って置けば畑の作物に侵食されそうだ。ちなみに説明板やらはすぐ側にあるので、この棒の命も短いかもしれないし、撮影したのは数年前。もうないかもしれない。

 

福島県八丁目城址

伊達棒遺跡20
某自体は綺麗に白く塗られている。看板もある。立派な棒である。

 

宮城県丸森町 金山城「本丸跡」

伊達棒遺跡25
山城のてっぺんにある本丸の棒。ほどほどの古さとそれなりに手入れされている感も相まって、棒の基本スタイルと言って良い。

 

宮城県丸森町「冥護山舘跡」

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マルモリは棒の名所だ。実に多くの伊達関連の棒が存在する。この冥護山への道も非常に迷った。タクシーの運転手も場所を知らず、人に聞こうにも人がいず。普段は誰も近寄らないところにある。
そしてさらに進むと本丸の遺体が・・・。

 

 

伊達棒遺跡3

・・・。

本丸棒がお亡くなりになっていました。

やがて土へと還ってゆく棒。プラスチックではそうはいかない。やはり史跡案内には「棒」なのだ。

 

宮城県佐沼城「伊達藤五郎成実の陣跡」

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ここも場所がわからなかった逸品。近所の人に聞いたら「伊藤五郎ねえ、そういえばうちの裏手にあるよ」と教えてくれた。それ以来、伊達藤五郎と見ると、伊藤五郎と、脳内変換されてしまっている。側面にはみっちり説明があり、棒そのものもかなり大きい。大きくないと笹に隠れる。

 

福島県会津若松

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こちらはうってかわって観光を意識した観光のための「棒」。
観光目的なので人が知っていそうな名前を出しているだけで、歴史的意義はない「棒」である。
歴史を意識しているならば、せめて「伊達政宗と蒲生氏郷ゆかりの街」と書くべきだ。なんて恐ろしい・・・。

 

 

そして、キングオブザ「棒」!

福島県郡山 「小十郎担」

伊達棒遺跡4
それはそれは、道端にぼそっと突き刺さっているだけの棒である。道の向かいにはコンビニアンスストア。
棒だけ見るととてつもなく田舎のようであるが、そうでもない。
エジプトのピラミットの後ろにはケンタッキーがあるのと同じだ。

話がそれた。
棒には無論説明などない。今にも横倒れしそうな儚い棒。しかし白いペンキが塗られている。ただの棒に手を入れたのだ。そしてそれからン10年、それでも棒がある。それで十分なのだ。

ありがとう!立ててくれた人!!

ありがとう、「棒」!!!