宇都宮城へ続く奥州街道にはきびしいベンチが待っている

今年の夏、政宗の新たな資料として発見された手紙が話題を呼びました。

 

http://togetter.com/li/860611

 

 

天正18年7月27日付、
(奥州仕置のことを秀吉から宇都宮城にて受ける予定であったが)23日に米沢をたったが人馬の疲弊などで到着が遅れている、徹夜で行く。という内容らしい。

 

そこで行ってみました、宇都宮。
餃子の町、宇都宮。
だけどおどろくほど美味いのか、餃子。
所詮観光客にはうまい店などワカラヌものよ。

 

深く下調べもせずにふらりと仕事帰りに寄ったので、まずはネットにあった奥州街道沿いに
駅から宇都宮城まで歩いてみました。
奥州街道2

これです。

政宗ご一行は徹夜で推定白河あたりから激走し、朝には着いたと思われる奥州街道、宇都宮です。
映画・超高速参勤交代よりも早かったんじゃないでしょうか。

宇都宮城4

さて、着きました。駅からは徒歩20分位かな?
そして着くなりものすごい「これじゃない」感。

建物はもちろん、最近出来たものです。

 

とは言いつつも、お城には色々と力入れているようで、城壁の資料コーナーにはボランティアガイドさんも常駐しており、話を伺うことが出来ました。

宇都宮城5

上の図は時代は定かではないものの、宇都宮本丸屋敷の図面。
少なくとも秀吉が来た時のものではない。

 

宇都宮城3

↑こっちの図が、江戸以前のもの。
これを徳川時代に、本多正純ががっつり町割りを変えて、今の宇都宮市内が出来たという。

奥州街道を今の地図に重ねてみると、概ねこんな感じ。

川の位置とかも変わっている可能性もあり、政宗時代の奥州街道は正確な所はわかりません。

徳川政権に移った後、家康没後の宇都宮は日光参拝の重要な拠点となり、将軍の宿泊地となったことから城から近かった奥州街道をずずずいっと遠ざけたのだ。

それからは上の図の左あたりには参勤交代の各藩の大名が泊まる陣宿が立ち並び、それはそれは立派な建物が並んでいたそうだ。

資料館には仙台藩の宿泊の看板も展示してました。

 

さて。
でもって、宇都宮城址は公園となり、政宗時代の宇都宮城は痕跡がないのです。

政宗と秀吉が会った場所も定かではないですが、本丸あたりに宇都宮広綱が急ごしらえでも何でも秀吉用につくった屋敷があったのでは?という話です。

宇都宮城7

このへんか?

 

宇都宮城8

このベンチあたりか?

 

天気がめっちゃいいので、ベンチに座ってしばし脳内タイムスリップです。

 

宇都宮城は土方さんも寄りました。
戊辰戦争では旧奥州街道があった、手薄で畑が多かった南東辺から攻められて焼き討ちにあったそうです。

 

大体そうですが、明治に城は取り壊され、僅かに残っていたものは昭和に空襲で焼かれ。

 

 

 

で、話は戻って政宗が徹夜で突破したという奥州街道にあるベンチ、というか椅子。

奥州街道3

見事なまでに座ることを拒否しています。

これでいいのです。休んでる場合じゃないのです。政宗の苦労を教えるベンチなのです。

休む間もなく駆け抜けた政宗。
それを追っかける家臣団と馬と荷物。

文字通り命がけの所業ですね。

 

政宗宇都宮遅刻1

政宗宇都宮遅刻2

 

 

 

米沢駅名物・牛肉どまん中弁当、定番ですね。