鍋倉山八幡神社で妄想する

宮城県大崎市岩出山に鍋倉山八幡神社があります。

鍋倉山八幡神社

この神社の説明によると、

「前九年の役に、源義家がこの地を通った折、安倍貞任討伐祈願のため、石清水八幡宮(京都)の分霊を勧請したと伝えられている。大崎氏の統治となり、社運も 隆昌し、藩政時代には伊達政宗が、大崎一揆平定の祈願をこめた神社として、一揆平定後、社殿が造営され社領三貫文(三十石)を与えられた。」と、あります。

鍋倉山八幡神社

一揆評定の祈願、とはなかなかに複雑な思いがあります。
岩出山はもともと大崎氏が治めていた土地。
一揆は政宗に対抗していたというよりは秀吉に対抗して起きたもの、なので、直接的な「政宗VS大崎」ではないにしろ、むしろ一揆は政宗の先導であったとの説が有力ですが結果、大崎は鎮圧され、一揆の主導者は桃生郡須江山に集められ、みな殺害されます。

政宗が、名乗り出れば助ける、と嘘をついて首謀者を集めて、だまし討にし皆殺しにしたという話もあります。

ともあれ、殺害に当たったのが、屋代景頼。足軽鉄砲隊として支倉常長の名前もあったとか。

なんやかんやで大崎は政宗が治めることとなり、本拠地を岩出山城に移します。というか、移動させられます。

しかし政宗、この時期は京都や大阪に主だった家臣、家族とともに暮らしているので、岩出山はほとんど政宗お留守でした。

城代となったのが屋代景頼。

うぬう~。

物語にするならば、ゆかりのない土地、しかも一揆で殺された縁者も多い中で権威を振るう屋代悪代官、しかしそうしなければ政宗に年貢を渡すことかなわず、キツイ申し立てで評判著しく悪いが、実はいい人で非常に苦しい心情だったとかだと面白いなーー。

 

屋代景頼

でもって、屋代景頼はその後改易され追放。追放先で亡くなります。
その息子を伊達成実が家臣として迎い入れ、屋代家は代々続くのであります。

成実の侠気というか。
屋代の優しさを知っての上での行動だと物語としてはますますエエじゃないですか。
政宗もわかっているけど悪者にせざるを得ない状況だと更にええじゃないかええじゃないか。

 

まあ、そんなことを妄想しながら参っておりましたよ。

 

ところで、この神社にお参りしていた時、若い女性がいて、声をかけてみると政宗のファンだという。
更に突っ込んで話を聞いてみると、台湾の学生さんで、戦国BASARAきっかけで政宗が好きになり、歴史を勉強し、政宗に関する論文を書いている最中なのだそうですよ!

去年まで日本の大学に留学していたが台湾に戻り、去年の岩出山のお祭りに行く予定だったけど、水害で中止になったので今年、わざわざいらしたというではないですか!

あああ!

好きのパワーですよ!

国を超えてもこの気持ち、おんなじなんですね。

 

部長も戦国BASARAきっかけで政宗好きになり、そこから史実をめぐる旅と資料あさりが始まったので、国を超えたところでも同士がいるという事がめちゃめちゃ嬉しいわけですよ。

 

そんなこんなで、伊達家好きは伊達家好きを呼ぶ、という話でした。

え?なんか違うな。
まあ、良しとします。