海路

ツイッターでこんな記事が回ってきました。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150104-00000000-sasahi-peo
相馬家の当主の記事です。

内容

関ケ原の戦いの直前、伊達政宗は大坂から仙台に戻ろうとしたけれど、上杉領は封鎖されて通れない。そこで政宗は、相馬家に領内を通りたいと願い出てきた。

ので、相馬義胤は通ることを許した、という漢気あふれる話です。

 

つねづね不思議なのが、なぜ、太平洋を海路として使用しないのかということ。
西では船を使っての移動が日常的に行われているのに対して、伊達家は海に面した亘理を領土に持っていたにも関わらず、船は使わない。
小田原参陣の際も、海路は使わず北条家の土地を迂回して新潟経由。

 

蝦夷からは昔から船でいろんな地域に物資を運んだり移動したりしています。

もっと遡れば、太平洋はニューギニアとかあらゆる島から大陸へ、大陸から島へと移動しています。

太平洋航路は荒れて使用できなかったとは考えにくいんです。
そもそも太平洋とも呼ばれていないですよねえ・・・。
なんて呼んでたんだろう。

 

 

しかし政宗、ご存知のように石巻ででっかい船を作って世界へ向けて海路を開きました。

その後も仙台藩は江戸にコメを送るため船を使っています。

 

江戸幕府が確立した後は、色々規制ができたので参勤交代も船はダメ~、といわれたにせよ、それ以前は陸路でなくてはいけない理由は何だったんでしょうね。

船だと全滅のリスクが高いから政宗や重臣を乗せたりはしないという話も聞きました。
まあ、それもそうです。
でも全国の大名は船で朝鮮へ戦争しに行きました。

あれは秀吉にしてみれば死んでもOKだったのかしら?

家康は渡航してません。

 

待てば海路の日和あり。
やがて単純な理由が見つかるのでしょう。

亘理重宗