第3回だて部報告その2
続き。
義姫の毒殺が芝居である以上は、政宗と義姫が仲良しでは困るのです。それは伊達家内でも秘密なのです。
おそらく成実も小十郎も知らされていなかったのでは、と言います。
「俺、石垣が上手に組めるようになったよ、ていうお母ちゃんに宛てた手紙とか、朝鮮にいるのにお母ちゃんからお小遣い送ってもらえるって、仲がいいよね」
といった話が、参加者さんから出ました。
偶然とはいえいい前振りにびっくりした部長です。
そうです。実際には非常に仲の良い手紙が残っている。毒殺は芝居であるなら恨みっこなしの状態です。
ではでは、この手紙、一体誰がどうやって岩出山から朝鮮の政宗に届けられたのか。
部長は佐藤先生に尋ねました。
すると「伊達家内でも仲がいいことは極秘であるならば、伊達家の取次には渡せない。義姫の使者が隠密に一人で名護屋まで運んだ可能性もあるやも」と言った趣旨の答えがありました。
具体的にはもちろん分かる資料もなく、義姫の手紙をどう送ったのかは謎なのですが、当時手紙を運ぶ人というのは非常に重要であり、その家の事情に精通していなくては役目としてこなせません。
手紙は情報。敵に盗まれたらえらいことです。
詳細は使者から聞くように、という手紙がたくさん残っています。
使者が伊達家の情勢に精通していなくては、細かいニュアンスを補足して伝えることが出来ないからです。手紙に全てを書き記してはさっきも出たように、万一盗まれたら命取りになるのです。ゆえに、おおまかなことを書いて、詳しくは、となるのです。
桑嶋万機という使者の話を以前ブログに書きました。
これ。http://sigechannohe.blog.fc2.com/blog-entry-559.html
宗教者です。
手紙を運ぶには宗教者がよく出てきます。
何故か。
そこで、修験者さんにお聞きしました。
修験者は忍者でもあるというが、それは彼らが山に精通しているから。という話。
普通の人なら山を避けて麓の道をエンヤコラ行くのに対して修験者は修行を積んでいるゆえ、山をすごいスピードで超えることが出来、食料も山から調達し、身を潜めるポイントも熟知している。それは現在でもそのような修行を積んでおり、実際そうなのだという。だから、例えば1日かかって伝達すべきものでも修験者なら山をショートカットしてそれよりも素早く伝達ができることにも由来するようだ。
また、政宗という人物を宗教者の目から見ると、非常に優れた人物であるという。宗教にも精通しており、全てをわかった上で色々と取り入れているように見えるというのです。
そして片目であることも五感が鋭くなる理由であり、人は何かが不自由になるとそれを補おうと別の器官が発達する。おそらく「神童」であったと思われるという意見だ。
政宗は観音菩薩を愛しており、瑞巌寺にも観音菩薩が残されている。
さらに、政宗にまつわる金剛界とは宇宙の根本を表し、胎蔵界とは内面を表すとか、八幡様は鉄の神で、武家に深く進行されていたとか、行者の元祖役行者、猿田彦など、話は色々あるのだが奥が深すぎてまだまだ理解には至らない部長です。
しかし、これらの宗教観を政宗は深く理解していたのでは、ということです。
輝宗は直接政宗に対して教育を行ったわけではないが、梵天丸という名前からも読み取れるように、輝宗自身も宗教に造形深く、自然と政宗に受け継がれていったのかもしれないですなという、面白い話でした。
いや~、あと10回位聞かないと自分で語れるくらいまで理解には及びそうにないですが、頭の片隅にぐりっと「観音菩薩」をキーワードに入れておくだけでも、別の資料を当たっている時にキーワードが登場すると何かが繋がる、というわけです。
神童で、とても頭が良い人物だというのに、こんなイラストばっか描いてスマヌ!政宗公・・・。
まだ終わりではない。続く
【補足】
「歴史人」ウエブページのなかに、
第6回 伊達政宗の守護本尊“聖観世音菩薩”の謎
といういい記事を見つけたので、是非一読を!
http://www.rekishijin.jp/rekishijinblog/chiefeditor/13-0731/