政宗の小田原参陣ルート

ふいに、政宗の小田原参陣のルートに関して考えてみた。

政宗は秀吉に頭を垂れに小田原へと参るのだが、この時関東を突っ切ろうとしたら北条方で道が封鎖されてて通ることかなわず、最上領を通って日本海ルートで長野甲府を突っ切り箱根に到着するのであるが。
大雑把だがマップ参照

どちらかと言えば北条よりも最上のほうが敵であるのになんで?と。

しかし不意に思った。
北条は秀吉にとって敵の陣地である。
伊達家は北条とずっと仲良しこよしであった。

政宗は先を見据えた革新派であり、北条を見限るのもどうということはない。
しかし中には北条とガッツリつながっていたい一派もいただろう。
これを小次郎擁立一派と乱暴に仮定してしまう。

小次郎は(生きているにせよ伊達家から)いなくなり、家中分裂の火はとりあえず消えた。

 

 

北条と伊達が仲いいのは皆が知る所。
秀吉からすれば
政宗が北条の土地をやってきたのでは、秀吉の監視の目が届かぬうちに北条と内々に何か工作をされてはまずいのだ。

参陣するため会津を出発して途中で進路を変えたのは秀吉側からの信用ならぬから北条の土地通るべからずといった命令があったのではないか。

政宗は百騎ばかりの少人数である。5000,6000の兵を率いて援軍として、小田原に向かったのではない。

秀吉と謁見することが目的である人数だ。軍はいらないというのも秀吉からのお達しだったのか?途中で反乱を起こせない人数。また、政宗に対しては無事通すようお達しが届く安全ルートとも言えよう。

政宗の小田原参陣

 

北条がすっかりやられる様を政宗に見せつけるために、1ヶ月もかけてゆるゆると遠回しさせていたのは秀吉の思惑があったんでは!?

思惑通り、北条がぼろぼろになり、逆らえば伊達もこうなるぞ、と暗に示した。政宗も秀吉方につくことを正式に述べ、戦わずして同盟を組んだ。

果たして政宗よう来たと、大歓迎されたのである。

 

 

という部長の突発的考えでした。

 

 

 

しかし、全部「伊達」からしか見ていないつじつま合わせには都合のいい話です。というか、小次郎のこととか、成実のことこか、自分で埋めていこうとしても穴だらけですが・・・。

ま、こういう自分独自の物語を作りつつ資料を当たると、以外なものが見えてくるもんです。
何も考えずに資料を読むと眠気だけが襲ってくるZ。
銀魂の終兄さんになるZ。

 

 

 

テレビ番組「ぶっちゃけ寺」で、坊さんが言ってました。
「仏はあなたの苦しみを救わない、導かない、同情しない。
ただ、教えを説くのみ。自分で考え歩く様を仏は見ているだけなのだ」
と。

自分で考えて歩いて話を聞いて回って、それを天から政宗は見ているだけ、なのだ。

政宗の歴史