旧島津公爵邸
文化財ウイークということで、普段は入れない五反田は清泉女子大学本館の、旧島津公爵邸へと行ってまいりました。
洋館です。
J.コンドルの設計で、仕上げの調度品などは黒田清輝が指揮したといいます。大正6年、完成しました。
が!
しげ部的に大事なのは、行って気がついた、ここはかつて伊達家の下屋敷であったということです!明治6年に島津家がやってきて、伊達屋敷をそのまま使用していたが、老朽化のために洋館に建て替えたのが現在の建物です。
なんだってーーー!
入ってすぐに玄関スタンドグラスの島津の十字を見つけて、「これを竹雀のデザインにしてもおかしくないよねえ」と、しゃべっていたのが、本当に伊達家に関連した土地でびっくりでした。
島津の十字紋。
ドリフターズ最新刊では土方歳三が島津十字に60ページ位さいて憎悪をむき出しにしておりました。
わからない人はスルーしてください。
面白いのでお勧めです。
そんな島津邸。
(どんな島津邸だ)
大げさすぎず、かといって手を抜いていない装飾の窓と階段アプローチが部長の好みです。
さて。
明治に負け組となった伊達が追い出されて、殿はどこへ行ったかといえば、巣鴨の妙義坂の田中さんちです。
6畳間です。伊達慶邦さんの住まいは6畳になってしまいました。事務室は3畳です。
ま、政宗も晩年は2畳間であれこれ業務をこなしていたので、嘉邦公の3畳間はむしろ広いです。
いや、どっちにしたって、一般家庭よりはずいぶん広いです。
上の田中さんちだって、部長の住まう面積の何倍あることやら。
土地に歴史あり。
都内に点在する洋館巡り、楽しいです。